7年経ちました。
父親とはいろいろあったため、最後まで親子らしい会話もすることなく終わってしまいました。
突然の死だったもので、死目にも会えずじまいでした。
まだ父が生きていれば、わだかまりを解けたかどうかは自信がありませんが、親孝行したい時に親は居ず、ですね。
ただ、今自分がここに居られるのも、父が居てからこそ。感謝の気持ちは忘れることなく居続けます。
今日、父が亡くなる3ヶ月前に書いた手紙。僕が父宛に書いた唯一の手紙を読み返してみました。
たった1通の手紙ですが、書いて良かったと、しみじみ思います。
恥ずかしながら、紹介させてもらいます。
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お父さんへ
改めて手紙を書くとなると、何か気恥ずかしいものがあります。
今は、不自由な毎日を過ごしているかと思いますが如何ですか?あまりプレッシャーをかけてもいけないのですが、僕を始め厚子も卓も亨も、みんなお父さんが良くなって、お母さんと仲良く、穏やかに毎日が過ごせる日が来ることを願っています。傍にいることはできず、力になることもできませんが、じっくりと治してください。
僕は仕事も結構きつく、プレッシャーも大きく、くじけそうな毎日ですが、何とか頑張っていますので心配しないでください。厚子はこんな僕を心身ともにサポートしてくれて有り難い限りです。子供たちも、元気に勉強やサッカーに忙しい毎日を送っています。二人とも優しくて、親に心配をかけないので助かっています。しかしながら、今の子供たちは社会環境等も含めて、いろいろ大変なことが多いだろうなと少し可哀そうに思えるところもあります。
ところで話は変わりますが、先日家族でハワイに行ってきました。今回はハワイでどうしても行きたいところがありました。それは真珠湾の「アリゾナ・メモリアル」と「戦艦ミズーリ博物館」です。ご存知のとおり、「アリゾナ・メモリアル」は日本の真珠湾攻撃によって沈められた戦艦アリゾナをそのまま保存し、慰霊施設として一般に公開しているものです。「戦艦ミズーリ」は1992年に退役し、1999年から真珠湾にて歴史博物館として、一般公開されています。
どうしてここに行きたかったかというと、お父さんは憶えているかわかりませんが(僕の記憶も正しいか定かではありませんが)、確か僕が小学1年生のときに、水泳の授業で25メートルを泳げたら、戦艦のプラモデルを買ってくれると言われ、買ってくれたのが大きなミズーリのプラモデルでした。その時僕が欲しかったのは戦艦大和だったのに、なぜがミズーリだったのです。結局、プラモデルを完成することもできず、ミズーリを買ってきた意味もわからないままですが、それ以来、ミズーリを目や耳にするたびに小学一年生の時のことを思い出していました。
僕や卓や亨は、戦争を知らない世代ですし、特に子供たちはテレビから流れてくる戦争やテロの映像をゲームのように感じているかもしれません。僕らが真珠湾を見ても、戦争を体験した世代の人と同じような感じ方はできないかも知れませんが、多くの若者が戦艦アリゾナに閉じ込められたまま沈められ、自分が立っているその下の海底に、今もそのまま眠り続けていることを知り、経験できたことは非常に大切なことだと思っています。
次は、お父さんとお母さんも一緒にハワイに行ければいいですね・・・。
何か、取り留めのない話になりましたが、また、気が向けば手紙を書きます。
では、また・・・。
2004年2月1日
節
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